東京食道楽のレストランガイド
鯛の飯に鯛の魚 鯛も鮃も食うた者が知る
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引き戸を開けると奥の古風な様式な家屋に向かって、しっとりとした庭木の緑が石畳を蓋いつくしている。この店は明治四年に牛鍋屋として創業され、既に百三十五年も営業されている老舗だ。広い玄関で仲居から出迎えを受ける。昭和二十七年に建築され、本郷は湯島の地で五十五年の時を刻んだ日本家屋からは、歴史の重みが伝わってくる。
店は二名から八十名まで利用できる大小十七部屋の個室が用意されている。尋ねると二名用の個室は二部屋だけとの事で、予約が取りづらかった事も頷けた。連れと案内された二名用の掘り炬燵式の個室は、新緑の暗みに灯りをともした石灯籠など、中庭の池を眺めることができる。ここは池に落ちる小滝の水音の響きが、一層情緒を増している。小柄な部屋係りの仲居は、客あしらいがとても上品で、その手慣れた仕草は実に気持ちがよい。
この店の、すき焼コースは七千円、八千円、九千円、一万円、一万千円などがあり、当日は一万千円のコースを注文してみた。他に、しゃぶしゃぶのコースもある。先ずは生ビール(エビス)で喉を潤した。すき焼コースは、何品かの前菜、すき焼、御飯、デザートのコース立てとなる。
前菜は「菜の花とサーモンの白和え」、「マグロ、カンパチ、炙ったホタテなどの造り」、「蚕豆豆腐」、「牛肉の時雨煮」など四品が供された。前菜をつまみながら、店指定の銘柄酒「黒松白鹿」を温燗にて、ぽつぽつと飲んでいると、くだんの仲居さんが「すき焼」の準備に取りかかった。
牛鍋屋を発祥とする当店のすき焼は、鉄鍋に割下を入れ、牛肉や具を煮込む関東風すき焼きである。この店では鉄鍋に割下を入れ煮立ってから、豆腐、長葱、白滝などの具を入れる。水を加え黒毛和牛の肉を一枚ずつ鍋に入れ、先ずは熱々の牛肉を、とき卵に絡めて味わう。仲居さんは、すき焼の準備を一通り済ませると退出されていった。
然しながら、その味わいは実に期待はずれの凡庸なものである。醤油、酒、味醂を用いて作られる、この店のシンプルな割下は随分と辛口の味付けに感じられた。その味は私の嗜好に合わないものだ。甘くしつこい味の割下も問題だが、それにしても酷過ぎると思えた。とき卵を余分に絡まして味を誤魔化そうともしたが、牛肉の風味や旨みまで失われたような気がする。
割下に砂糖を加えれば、少しはマシになるだろうと、連れに砂糖を貰ってくれるように頼んだ。すると連れは、「それはこの店を侮辱することになる」と私をいさめた。仕方なくそのまま食べ続けることにする。水で薄めても駄目、この割下の鹹(から)さが牛肉の旨さを消し去り、含んだ日本酒までもが苦く感じられた。
店は接待客や宴会客で連日盛況のようであるが、古き日本や風雅などを謳いながら、このような凡庸以下な「すき焼」を提供されているのは、いかがなものか。長い時が構築してきた、この店の情緒は素晴らしいものがある。仲居の教育も行き届いていた。それだけに残念で、私の気持ちは重くなり機嫌も悪くなった。早々に締めの御飯とデザートを掻っ込んで退散した。
ホームページの「東京食道楽記(極上の味を求めて)」では、男女二人が、それぞれの視点から、食べ歩きの原稿を書き上げております。興味のある方はご覧になってください。
http://www18.ocn.ne.jp/~gokujyou/