これらの口コミは、東京食道楽さんの主観的なご意見・ご感想です。あくまでも一つの参考としてご活用ください。
また、おすすめメニューとその金額は東京食道楽さんが任意で登録したものです。お出かけ前は、必ず電話等でご確認ください。 詳しくはこちら...
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休日の日曜日、無性に「すき焼き」が食べたくなった。迷わず浅草「すき焼 ちんや」に予約を入れる。今日は、「すき焼」に前菜や刺身なども組み込まれた「すき焼コース」(蔵前・一万二千円)を注文してみる。案内された個室は大正ロマン溢れる瀟洒な洋室であった。
この店の割り下の味付けは私の口には大変に合うものである。夕餉の時、牛肉を頬張っていると、また昔の記憶が蘇ってくる。
(以下は従前のレビューである。)
子供の頃の御馳走といえば「すき焼き」である。年に数えるほどの献立であったが、「一番美味しい食べ物」として心の中にしっかりと残っている。母親が作ってくれた「すき焼き」は、鍋に割り下を入れ、牛肉や具を煮込んだ東京風といわれるものである。
当時、借財などに追われていた父は家に殆どおらず、母が小商いをして姉と私を養ってくれていた。その為か肉の量は十分とはいえず野菜などの具が多かったように思う。鍋を前に遠慮して、ためらっていると、母は溶き卵の入った椀に、たっぷりの肉と野菜などを取り分けてくれたものだ。熱々の具を少しずつ口に運びながら、頬張った白飯の旨さは、今も忘れることはない。すき焼きの時だけは三杯も四杯も御飯のお代わりをした。だから、この歳になっても時々無性に「すき焼き」が食べたくなる。
この間、訪れた浅草今半 国際通り本店は「肉を焼くように煮る」手法で、あの頃の鍋とは大分感じが違っていた。東京風のすき焼きを堪能してみたくて、浅草は雷門の並びにある牛鍋屋の「ちんや」を訪問してみた。この店は明治十三年に料理屋に転業し、すでに百二十六年の歴史を有する老舗である。
「ちんや」の小冊子によれば、明治維新の時「牛肉を喰わねば開化不進奴(ひらけぬやつ)」と浅草を中心として牛鍋屋がブームとなり、明治十年には東京に四百八十八軒の牛鍋屋があったというから驚きだ。そして、店に入ると今は珍しい下足番の方までおり、予約してあった四階の個室に案内された。そこは掘りごたつの瀟洒な和室であり、足が下ろせるのは有り難い。また部屋には開化絵(文明開化の文物を描いた浮世絵版画)が掛けられ、明治の浪漫を感ずることができる。
ここの「すき焼」は、「お肉、ざく、玉子」のセットで値段は、七千五百円(特上肉)、四千八百円(上肉)、二千五百円(お肉)の三段階となる。当日は七千五百円の「すき焼」と、「御飯、お新香、みそわん、フルーツ」の四点セット千五百円を注文した。ビールはエビスビール、お酒は菊正宗の純米酒を頼んだ。
部屋係りの仲居さんが実に手際よく、すき焼きの準備に取り掛かり、一通り済ませると退室していった。鍋の中には割り下が満たされ、長葱、春菊、焼き豆腐、白滝、椎茸、麩などのザクと牛肉が入れられて、グッグッと煮立ち始める。子供の頃の記憶の美味しさが心に伝わってくる。
熱々の牛肉を、溶き卵に絡めて味わう。「旨い」。ビールや日本酒などは、そこそこに早めに御飯を貰った。すき焼きを味わいながら御飯を頬張ってみる。少なくなった溶き卵は白飯に掛けて掻き込む。特上肉と上肉の二人前、玉子を追加する。すぐに御櫃は空となり御飯も追加した。連れと二人でひたすら「ちんや」の牛鍋を食べ尽す。御飯は茶碗で五杯ほども平らげてしまった。
この店のすき焼は、濃い目に作られた割り下と牛肉の味が調和し、大変に美味しいと感じた。すっかり満足して部屋を出る。エレベターを待っているとベテランの仲居さんが「御飯のお代わりまでされたそうで、ありがとうございます。」と妙に嬉しそうに挨拶をされた。御櫃のお代わりをする客など珍しいのだろうから、仕方あるまい。
すっかりと暗くなった夕刻、人通りも疎らな浅草寺に寄ってみる。ライトアップされた五重の塔は、薄曇りの夜空にくっきりと映えて美しい。また無性に「すき焼き」が食べたくなった時は、迷わず「ちんや」を訪問するつもりである。
ホームページの「東京食道楽記(極上の味を求めて)」では、男女二人が、それぞれの視点から、食べ歩きの原稿を書き上げております。興味のある方はご覧になってください。
http://www18.ocn.ne.jp/~gokujyou/