pirolinのひとりごと

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食べログ グルメレビュアー

pirolinのひとりごと

pirolin (50代後半・男性・福岡県) [携帯電話番号認証済]

標準点: 3.0

口コミ: 72 / 386 | 写真: 404 / 540 | 読者: 17 | 訪問者数: 2,765

自己紹介

久留米生まれ久留米育ちの50代男性。

主な外食は焼き鳥とラーメン。
たまに和食、イタリアン、鮨、フレンチという感じ。


とりあえずラーメン略歴でも…

デフォのラーメンは行列ができる前の二代目の大砲ラーメン本店。
ラーメン屋はなぜか味が移り変わるものらしく、うまい店は常に変遷してきた。

親がラーメン好きだったせいで屋台はもちろん、寺町にあった南京千両本店にもよく行った。
潘陽軒に行った時は珍しかったワンタンメンを喰った。

でも物心付いてから一番うまかった記憶が残っているのは、問屋街にあった摩天楼ラーメン。
この店は知る人ぞ知る名店だったらしく、年配の人とラーメン談義をすると今でもよく出てくる。
残念な事におやじさんの病気かなにかで閉店してしまった。

その後は沖食堂の出前ラーメンがスタンダードになったが、別においしかったからではなく、
他に持ってくる店がなかったという消極的な理由からである。
出前担当のしげちゃんの「よか時計ばしとるやんね?」のセリフは有名だったが…。

中学の頃は大龍や大栄ラーメンに行った。
このころ知久留が「58円ラーメン」で鮮烈にデビュー!!(100円と思ってましたがもっと安かったようですw)
スープは薄くて味がなく、具はネギだけだったような…でも厨房達は嬉しくてちょいちょい通った。

高校時代は学食に飽きると沖食堂に通った。
別においしかったからじゃなく、安かったからw
みんな高校生らしく素ラーメンやちゃんどんを食べた。
この頃まではCPが全てである。

これを知る人はかなり少ないと思うが、沖食堂は西鉄久留米駅前にラーメン専門の支店を出していた時期がある。
専門店という味でもないのに大丈夫?、と心配したが、ほどなく閉店し、知る人ぞ知る幻の沖ラーメンとなった。。
あれは早過ぎたのかもしれない。今なら食べログのおかげで行列ができるだろう。

浪人の頃には初代の大砲ラーメンによく通った。
無論おいしかったのだが、テーブルに醤油ダレみたいなものが置いてあって、味の調節ができるのがまた良かった。
濃い目が好きな自分としてはデフォルトにタレを少し垂らしたくらいがベストだったのだ。

ところがある日、その醤油ダレがテーブルから消え去った。。
おやじに「あのー、タレは?」と聞くと、「うちにはそげなもんななか!」と怒鳴られたw
そんな、何をいまさら?、、 奥さんを見ると心なしか申しわけなさそうな表情だった。

その後しばらくして行くとおやじは脳卒中で片麻痺になっていた。
根性で片手でラーメンを作っていたが、不機嫌でしょっちゅうキレていた。
ちょっといたたまれない雰囲気で足が遠のいたのを覚えている。

その後は文化街の屋台「万里」が一時期全盛を誇ったが急速に没落。
屋台から店舗になっても堅実に味を維持した久留米屋がその後を継いだという感じ。

この頃からラーメンブームが起こり、花畑の大龍に行列ができるようになった。
花畑には丸福やとん吉、竜鳳等があり、ラーメン激戦区として人を集めていた。

そのうち大龍二代目が合川に大型店を出店。これが老舗ラーメン店の多店舗展開の始まりだろう。
大砲二代目も合川におされな支店を展開し順次店舗を増やしていく。

そして最近は新店ブームというところでしょうか…


とにかく久留米のラーメンは一時もじっとしていない。
今日おいしいからと言って明日もおいしいとは限らない。

頑張る店は大規模化し本来の味を失って行くし、成長を止めた店は味も衰えていく。。
なので食べる側も旬の店を探す努力を常に怠れない…客もうかうかして居られない厳しい世界ですww

しばらく開発をさぼっていたら手持ちのおいしい店が激減してしまい、あわてて新規開発に励んでいるところです。。
成果はぼちぼちレビューで報告したいと思います。

(おいしいローテーションが完成すると満足して休眠する傾向にありますのでその節はご容赦を。。<(_ _)> )

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