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'08/04/14 ('08/04訪問)
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コメント(2件)
'08/04/15
>当日喰いきれず、家に持ち帰った「炒飯」を翌朝口にしてみたら「冷えても(それなりに)ウマかった」
うちゃもよく「お持ち帰り」しますね。
お店で戴いたより「持って帰った方が多い」などは、思うに「アテとして注文→更に家でアテとして
戴く(しかも何回かに分けて)」と、お店にとっては迷惑旋盤(あまりにマニアックな変換なので
残しておこう)にゃのね。
さて、今晩のバスで東京にいきますのだ。
今回はどこで呑み潰れようかな?
うちゃもよく「お持ち帰り」しますね。
お店で戴いたより「持って帰った方が多い」などは、思うに「アテとして注文→更に家でアテとして
戴く(しかも何回かに分けて)」と、お店にとっては迷惑旋盤(あまりにマニアックな変換なので
残しておこう)にゃのね。
さて、今晩のバスで東京にいきますのだ。
今回はどこで呑み潰れようかな?
'08/04/15
持ち帰り、中国語では打包(だーぱぉ)といって、大陸や香港では、大概の料理屋が、対応してくれます。
だいたいチューカというのは、人数分より多少おおめに注文しておき、その「物量」をもって、非接待者にハッタリをかますところがありますから、その効果装置を無駄にしないで、持ち帰る、というのは、実に合理な発想である、と愚考します。昔の料亭料理、なんかも、ね。 「折箱」にはいった、玉子焼きが楽しみだったなぁ…(遠い目
>迷惑旋盤
むー、マシニング・センタって感じ(意味不明
>今回はどこで呑み潰れようかな?
ま、ウラヤマシ! 立ち呑み好きの姐さんには、アサクサは雷門味の大枡 雷門店を、オススメしたいかな?
だいたいチューカというのは、人数分より多少おおめに注文しておき、その「物量」をもって、非接待者にハッタリをかますところがありますから、その効果装置を無駄にしないで、持ち帰る、というのは、実に合理な発想である、と愚考します。昔の料亭料理、なんかも、ね。 「折箱」にはいった、玉子焼きが楽しみだったなぁ…(遠い目
>迷惑旋盤
むー、マシニング・センタって感じ(意味不明
>今回はどこで呑み潰れようかな?
ま、ウラヤマシ! 立ち呑み好きの姐さんには、アサクサは雷門味の大枡 雷門店を、オススメしたいかな?
- :料理・味、
- :サービス、
- :雰囲気、
- :使った金額(夜)/1人
- :使った金額(昼)/1人
- :おすすめシチュエーション








それほど頻度は高くないのだが、たまに当店に伺うと、近頃は都度「味わい」に洗練―現代化、といっても良い―が加わるのが分かる。
先の休日、昼の中途半端な時間に、家族で訪問。「叉焼」「唐生菜(ロメインレタス)の蝦醤風味炒め」「油淋鶏」「広東炒飯」を注文。
相変わらず「焼き物」は、赤坂璃宮や福臨門あたりから比べると、イマイチぱっとしないが、それ以外のお菜は、良好。湯(スープ、ないし出汁)のとり方を、以前より、今風の「粤菜」―というより「港式」―に近づけたのであろう。しっとりとした鶏の出汁に、火腿の風味が「羽衣」のごとく寄り添っている、という風である。
結果、これが調理時に投入される「炒め物」や「煮物」が、「ウマいのだけれどサッパリとした」方向に変化した。「灰汁が抜けた」というのが、適当かもしれない。
「油淋鶏」の「上漿(したあじ)」や「対汁(あわせ調味料)」の配合なども、「現地並み」ではないが、「本邦人向けに調整はしているが本筋は外していない」ところが見事。
(実は当方、福臨門などで見られる、化学物質を使うことなく、天然素材でそれ同様まで「旨味」を強化、否「飽和」させてしまったような「チョッと前の香港式」味わいのバランスが、今となっては少々苦手なのである。)
なにより当日喰いきれず、家に持ち帰った「炒飯」を翌朝口にしてみたら「冷えても(それなりに)ウマかった」事には、大いに瞠目した。
当店、普請が少々草臥れてきた事と、出自由来?の給仕の「慇懃さ」、そして勘定の高さにには少々不満が残るものの、こと「お菜」の味わいについて「のみ」言えば、ある時期の「ひとつの時代に沈殿していた」状態から蘇生。「アタマひとつ抜けた」存在になったような気がする。ひきつづきオススメ。
(登録時のレビュー2005年4月一部抜粋)
当店に初めて足を踏み入れたのは、13年前。
それより前に駐在していたシンガポールでよく口にした「宴会料理としての中国料理」の味わいが忘れられずにいた当時、当店をたまたま訪問。
ためしに取ってみた「蟹黄魚翅羹」の味わいが、現地同様に感じられ、以来、断続的に顔を出している。
何回も通い、都度いろいろと注文するのだが、当店のお料理の味わいは、初訪問の時から、その方向性にほとんど変わりが、ない。
つまり「14,5年前辺りに、東南アジア諸国で流行していた、ご馳走としての中国料理」から、変化も進化もないまま、現在に至っている…ような気がする。
当時の、当方面各国において、宴会で供されていた中国料理というのは、多くの場合「香港式の調理作法」を基本としていた。
といっても、「老油」や「鹵水」でコッテリと味付けをする、客家菜や潮州菜の影響が強い、伝統的「粤菜」としての香港料理ではない。
材料を吟味しつくし、これに「飽和寸前」まで湯(ダシ)をたっぷり含ませ、豪華絢爛ギンギラギンに飾り付けを施す…という「お大尽向け高級宴会料理」である。
現代の「ぬべる・しのわ」が台頭する直前、同地が中国本土に返還される事が決定化していなかったころのそれであり、ハッキリと言えば、その豪奢ぶりには「ナリキンが一円札に火を灯す」同様の、どこか泥臭さを感じさせるところが多かったアレである。
これがわが国に伝播、十年一日同じ調理方針で作り続けられ、提供され続けていくうちに、多少、本邦的「アンダーステイトメント」が加味されたのが当店のお料理である、と、思えば、まぁ間違いがない。(ホントかよ?)
従い、基本的に「調理作法」よりも、材料のタチと、調味料の按配で決まる味わいのお料理であるし、我々が大いに好む、鶏や各種乾貨(貝柱などの乾物)で取られたダシが、ナミナミと含有しているので、いまでも大概の人の口に合う。
言い換えれば、「単価の高いものほどウマいが、大体想像できる味わい」である一方、「中くらいのでもそれなりに喰える安心の味わい」でもある。
つまり「オレの予算」のあり方で、宴の張り方は融通無碍。給仕諸君の接待にも破綻はない。
しかるに、広い年齢層での会食、親類縁者が集まっての宴席、或いは同窓会など「儀式としての会合」には、まこと問題なく利用出来る。
このような店だから、当日訪問してから、メニュを決めるのではなく、
訪問前に「いついつ何人で伺います。予算は一卓(或いはひとり)あたりナニガシからナニガシ。この範囲でコースを三通り作ってみてくださいな。その中から選びますから…」
なんて、電話で予約を取りつつ、FAXなりでやり取りをし、事前に喰うものは決めておくのが一番宜しい。
「美味探求」の修行の場ではなく「万事安心安全、ハズレのない食事」が必要な時に。オススメ。