2008年6月15日:記
振り返ると私が高評価をつける店の共通点は、料理を口にした時に「ハッとする」一品が必ずあるという事である。「美味しい」なんていうのは当たり前であって「条件」じゃない。高価な店にも安価な店にも、「ハッとする」ものはある。しかし高いものを食って悦に入るのも、安いだけのレベルで満足する気もない。また、評価が変るのも常である。自身の感性の変化を測るのも「食」の楽しみと思っている。
2008年3月1日:記
甘いか辛いかと言われれば、私の評は確かに「辛口」かもしれない。しかし本人はわざと辛くしようなどとは全く思っていない。自分の持ち合わせている経験と感覚を頼りに素直に判断した結果である。
いつもながらに思うのは日本人の多くは「批評=批判」と単純に捉え「けなさない」が美徳と思っているらしい。多くのレビューをみても「お気楽賞賛系」が受けるようであるが、私にはこの手の情報は必要ない。つまりガイド雑誌やグルメ番組と同じレベルのものを今更口コミされても意味がないからである。
物事は光と影があって実像となる。光の当たらない影の部分を知るのは有益である。ただしそれも「影=ネガティヴ」と捉われがちだが、そうではない。「影」とは大衆迎合媒体では書かれない「個人の観点・感性」による批評であり、結果として負の内容も出るが、賞賛に値する見方も出る・・・・つまり良い事も悪い事も、どちらも有益な「お陰さま」の発想である。
個性のある評者の方のレビューで自分では気付かなかった点を知る場合も多く、非常に参考になっている・・・・もちろん絶対数は少ないのだが・・・・。
2007年12月5日:記
未だに「ランチ食っただけで分かった事を言うな」的クレームが来る。度々返信は面倒臭くなったので理由を述べておく事にする。
昼は夜に比べて安価にする店が多い。(あくまで真っ当な店での)昼が安い理由は①店の技量を知ってもらうPR的意味合いを含めて来店しやすい価格で提供している。②昼は時間の制約がある客が多いため料理の絶対量が少ない。③例えば夜は牛を使用するが昼は鶏にして食材コストを下げている。が、それは「種類」の違いであって「質」の違いではない。「鮪と鰯はどちらが上等か」というのと同じで、鮪も鰯も値段が違うだけで「旨さ」はそれぞれにある。
つまり食材の価格差や量の過不足というのと「調理の技量」は別次元である。高価な食材を使用しようと下手な調理をすれば不味いし、その逆もしかりである。「安い=質が悪い」的な単純観念があるせいだろうが、ある程度、本当に食に見識のある人間ならこんな事くらい、言わなくても分かるだろう。極論を言えば「椀(スープ)一杯」だけでもその店の「実力」は測れるものである。
よく「ランチだけなので・・・・」という恐縮したレビューがあるが、堂々とランチだけでも評価すべきである。ランチが不味けりゃ、夜も期待できないので訪れる必要もなく、無駄な金を払うリスクを避けることが出来るのだ。
2006年12月23日:記
「店は誰を相手にしているのか?」ほとんどは不特定な「一般客」であり、それは「店が(料理を)表現し、客が楽しむ」という行為では「映画」や「音楽」などの芸術と何ら変わりが無い。そして、「表現者」は必ず批評される宿命を負うのである。
今まで「批評」というと「評論家」が媒体を通じて行うものだったが、「ネット」というものが出来てからは、それワで一般人が口にしていた率直な感想・意見も伝えやすくなった。もちろん無責任なものが発生するリスクはあるが、むしろ利害関係を疑うような職業評論家よりリアルで的確な(素人)評価が参考になる場合が多い。私がこのサイトに参加するのもそこに起因する。
店と出会うのは人と出会うという「縁」である。
「良縁」もあれば、そうでないものも・・・・・・それもまた「縁」に他ならない。













端的に言えば(思いっきり)「たかられている」に過ぎない・・・・昔は「メッシー君」だの「ミツグ君」だのと言われていた男が、そのまま歳を取ったのだろうか?・・・・・・バブルの時代は皆、狂っていた。俺もそんな中の一人だったかも知れない・・・・昔の自分を見ているよう... 続きを読む