『昭和時代のノスタルジー(3)末広亭、朝日座そして南風莊へ』urukoraさんの日記

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末広亭本店を目指し通りを更に下る
まぶしい日差しの中、頭上に眼を向けると
やぐら鮨近くの三叉路の外灯に団十郎の看板があった

これは米子の老舗の名店 おでんの団十郎の外灯看板だろう
団十郎が無くなってもう何年になるのだろうか?
私が最後に伺ったのは結婚前に嫁さんと行ったのがたぶん最後
もう26年ぐらい前の話かww 

米子も昔はおでん専門店が数件あったものだが今は一つも無いのかな?
松江の松江おでんみたいに生き残れなかったことが悔やまれる
前回煙人のマスターとお話した時にも
米子は文化を壊してしまう街だという話、話ましたがこれもその一つですね


看板だけになってしまった団十郎を過ぎるともうそこに末広亭本店があります
開店したばかりの11時半、懐かしい店構えを眺めつつ入店します。
こちらのレビューは末広亭本店を読んで下さい

ノスタルジーな空間を抜け出すと玄関においてあるカブに気づく
ああ、このカブだねえ。これに乗って大将がいつも出前してくれてたなあ


通りを振り返るとそこには朝日町ビル
このビルも相当くたびれてはいるが私よりは若いのか
以前ここに映画館朝日座があったはず
ゴジラやガメラの映画(東宝、大映)はここで上映していたと思う


センチメンタルな気分のまま帰路につく


車に乗り角盤町通りを進む
あ!ブレーキを踏み車を脇に寄せる

南風莊の跡地だ
看板や玄関、日除けテントの看板もまだ残っていた
相当ボロボロだったのでもう無いのかと思っていた

ここのラーメンはよく食べたよなあ 子供だったのであまりはっきり思い出せないが
中華そば、支那そばと言われる時代のラーメンの風格だったのではないか
シンプルですっきりしていて旨みと甘みも充分あった
もう一度食べられるものなら食べたいが
それはかなわぬ夢である・・・


昭和時代のノスタルジー(1)幼少期の想い出にも書いたが私は16歳でこの地から引っ越した

そして19歳の時父を亡くすこととなる・・・
それからの人生にはそれなりの苦労があった

だからなのかもしれない
銭湯通いや魚肉ソーセージのハンバーグ色々あったけれど
その時代が何の疑いも無い、不安も無かった、唯一無防備に幸せな時だったのだろう

今でも充分幸せだ
でもそれは大人として不安や苦しみを感じつつも努力をするからこそ幸せを感じている
だから、かつてその瞬間を与えてくれた両親そしてノスタルジックなお店たちに感謝しよう

待っていてくれ そう遠くはない


万物流転


私も父やノスタルジックなお店たち同様 

終焉を迎える日が必ず そう   必ず 来るのだ・・・


昭和時代のノスタルジー 
 

おわり





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